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▼チュンパカ (Chumpak)

◆草花ではなく木に咲く花である。花びらは細長く、色は緑がかった黄色。
神はこれほどまでにこんな妖しい匂いを好むのかと思うほどの香り花で
ある。
◆地に置く供物を「チャル」といい、下界の悪霊ブタカラに捧げる。
家の屋敷内にある寺や神棚、車の中などに置く供物をチャナンという。
天界の霊(神)に捧げる供物である。善なる霊、悪なる霊どちらにも平等
にこのチュンパカを捧げるのである。
◆チュンパクは女性を思わせる。淫らになってしまいそうな香りである。
人間は神に女性を捧げられないから、チュンパカにしたのだろうか。
初め、この花を選んだ人に、女性と神との交合がイメージされたのか、
あるいは憑依の対象は女性だったのかわからない。熱帯のこの花の匂いは
爽やかな熱帯の朝とうだるような熱帯、魔物がきそうな夜の闇の中で、
催淫術を使いながら優しくバリ島を覆っているのである。
◆また この花の名前を人間の改名のときにつける女性も多い。
例えば、カーストの違うもの同士が結婚した場合、女性はチュンパカと
名づける。


▼セダップ マラム (Sedap Malem)

◆「ここからがあなた方だけの空間です。」あるいは、「この夕べの時間
から朝が明け るまであなた方お二人の時間です。」ホテルスタッフは
こう言いたげのようだ。バリのホテルの玄関ロビーのいたるところにこ
の花が生けられている。そして夕刻になると部屋に飾られる。
◆緑の茎の先のほうに小さな白い花弁がいくつも蕾むように咲くのが特徴
で、3本、4本と束ねられるとさらに静かな気配を漂わせる不思議な花
だ。妙に心が熱っぽく、ざわめく男の気持ちも、この空間に充たされた
女の気持ちもこの花の香りがさらに気持ちをかきたてるのだ。
「夜来香」と中国では呼ばれるそうな。


▼サンダット (Sandat)

◆チュンパカと同様に供物に捧げられる。これも樹木の花だ。チュンパカ
に似ているように思えるが、やや緑がかっている。香りもチュンパカほ
どには強くない。少女の香りとでも言えばいいのだろうか。
◆女性にも強烈なフェロモンをだしているよう人と、あっさりとした香り
を発する人がいる。神々への役割があるかのように供物に捧げる花もそ
の辺は区別されてサンダットは置かれる。つまり、置く人がいた。する
と、神は複数であろうか。つつましやかにこの花はバリ島で存在してい
る。でしゃばることなく、ひかえめで、それでいて香りを放ち続けてい
る。そのようなサンダットを好む神がいるに違いないと先人は思ったの
だろう。
◆朝の花だ。決して夜の花ではないのである。チュンパカと同様、この花
の名前も改名の時使われる。


▼ロータス

◆蓮。極楽の花、とはよく言ったものだ。蓮の花が浮かぶ池に小さな橋が架
かっている。そこを二人は渡ることになる。それを渡れば極楽なのだ。極
楽という言葉にはある嘘っぽさが付きまとうから、こう言おう。極めて愛
の空間。ロータスは暗示であり、比喩である。誰かが設計の段階で考えた。
「蓮池を渡らせよう。」と。設計者の幻想が旅行者の幻想と一致する。
ところで蓮の花は開かないうちがよい。つまり渡る時に花は閉じていて、
夜の闇の中で大胆に開け。


▼ブーゲンビリア

◆アジアの熱帯。狂ってしまいたくなる時はないか。今日芽を出し、今日咲
き、今日枯れる。次の日も、また次の日も一日に一度は生まれて死ぬ。激し
く生と死を展開したいとは思わないか。
◆この花を仮に一時間見ているとしよう。すると僕達は奇妙な感覚に襲われ
る。黙々と生と死を繰り返す生き物がここに存在することがなまなましいの
だ。花のそばで新聞を読んでいても、ざわざわと語りかけてくる気配だ。時
に一陣の風が吹く。花が落ちる。葉が落ちる。葉がこする。花がもっとざわ
めく。ブーゲンビリアの宿命をいとおしいとおもわないか。


▼フラボヤント

◆青い空を背景にフラボヤントは小さな赤い花を咲かせる。花をつける密度
は桜ほどではないが、3本、4本と並ぶと見事な色調である。これだけでバ
リに来てよかったと思う。
◆ここはホテル ジ オベロイのゲート。
よく見ると巨大なサヤエンドウような袋がいくつも垂れている。豆科の植物
だろう。この実を食べればどうなるか。この実は研究、分析されているか。
緑の葉の間にぶらさがる巨大で黒いサヤエンドウと細くて小さい赤い花は
アンバラン スではないか。つまり矛盾ではないか。
◆そこにこの植物の秘密がある。鮮やかに惹きつけ、その中に惹き込まれると、
巨大なサヤエンドウが見えてくる。そしてなおも全体からこの木、この花、
この黒い怪しげなものを見る。覗く。調べる。また観る。「みる」 を繰り返
す。女を「みる」ようだ。


▼トランペットフラワー

◆バリ島に水の寺院がある。ブラタン湖に幾つかの小さな五重の塔が配置さ
れている。周りは水だ。なぜ水に浮かばせたのか。その知識がない。見てい
ると胸騒ぎがする。そして神がいるような気がする。他の地上の寺院はぽっ
かりと空白のような虚無感が漂うのだが、水の寺院には彼らの神が住処とし
ているような、そんな幻想を抱かせる。
◆付近を歩く。朝顔をトランペットのような長い形にした花が群生している。
熱帯の花というより朝の露に似合う、あるいは雨上がりの水滴に似合う花だ。
花びらは白。中心部は紫色。この花の種は睡眠薬として、炒って使われる、
とマデが言っていたのを思い出した。ほんのそばに神がいる。その気配がす
る。気になって振り返る。花々はしめやかに、僕は湖のうえへ。


▼ハイビスカス

◆乙女という語はバリ島のまだうら若い女性に似合う。日本では死語に近い
言葉だが乙女の心を掴む作家が現れたと週刊誌で話題になっていた。
その花の葉を深皿に入れそれを手で揉むようにつぶして液を出す。その液を
乙女の髪に塗り、手で頭皮を揉む。黒々と、つややかな髪のお手入れである。
またその赤い花びらを手で摘み、皿に置いて、棒のようなものでつぶす。
つぶした花を爪に貼り付ける。一週間は保もつマニキュアである。種類の多い
花だが、ひとつひとつの使い方を昔から言い伝えで知っている。別の方法。
耳に飾って微笑を誘う。これは無意識の術なのだ。思わず誘われて微笑むと、
乙女は恥じらってまた微笑む、という風に。


▼フランジパニ

◆南の国に行けばたいていの女性は耳に花を飾る。バリでは歓迎の意味を込
めて飾る。もちろん自分を美しくみせるためでもあろうし、心というのは伝
染をするから、女性の微笑みと美しい花を見たら、見た人の心にその花のよ
うな微笑みを映し出す。白い花びらだが、芯のほうは黄色い。ピンクの花も
ある。大きい花びらのものがジャワ産で小さいのがバリ産である。
◆バリでは「ジュプン」と呼ぶ。香りがよい。レゾートホテルはこの香りが
するところが多い。パリマナンというバリ島でとれる石灰石(色は黄色っぽ
い)のような石を臼のようにして、フランジパニの花びらを集めて盛る。イ
バというホテルではそのように飾っている。
◆エステでは、必ず、バスタブにこの花を浮かべる。張りのある花びらは油
性分が多いのかもしれない。
◆英語圏では「プルメリア」という。チャンパカは観光客の目にはなかなか
とまらないから、フランジパニがバリ島を印象づけるのである。フランジパ
ニのレイをもらったら、捨てずにお風呂で使おう。この頃の流行語「ああ、
癒され」たと思うに違いない。

▼睡蓮 (ウォーターリリー)

◆ロータスといわれるのは花びらの大きなもの。蓮のある池に細い、可憐な
花びらを幾つももつ花が浮かんでいる。バリ島のホテルには必ずと言ってい
いほどみかける。カメラにおさめるロータスを撮るのはなかなか難しいがウ
ォーターリリーは、疲れきったように間延びしてしまうロータスとくらべれ
ば、いつまでも可憐なままだ。「睡蓮」というフランス印象派・モネの絵を
みたことがある。あの絵は薄い光の中でぼやけた睡蓮だった。バリで見るの
は苔色をした水に鮮やかに浮かんでいる。水に浮かぶ花というのも思えば珍
しい。堂々と観賞にたえる美しさであり、人の目をとらえる花。
◆花はみんな静かだが、とりわけこの花は群で咲かないため、ひっそり静か
である。


▼カラー(マウナ ロア)

◆気品のある部屋、気品のあるレストラン、気品のあるホテル、気品のある
女性にしか似合わない白い花。一枚の花びらの裏に棒のように花芯が伸びて
いる。初めてみると「おやっ」と思う。この棒が花弁をさせていて、どちら
がなくて釣り合いがとれない。微妙なものである。日本でみるカラーは花弁
が薄く、どこなよっとして、あふれ出る生気がないがバリのカラーはみずみ
ずしく、気品がより高い。
◆難しい花だと思う。野で美しいというより、どこか洗練された場所でその
美しさを発揮するのではないか。しかも1本ではなくて、まとまった量で。
この花を使いこなせれば、一流の演出家だ。あるいは一流のデザイナーだ。
◆熱帯の夜、満月が昇る。風がそよ吹く。大理石のテーブルのあるテラス、
そこに一輪挿しのカラーがある。すると、スマールプグリガンの風のような
ガムラン音楽が聞こえてくる。ここはアマヌサホテルだ。ただし料金$600。


▼メラティー

◆お香、エッセンシャルオイル、マッサージオイル、といえばメラティ。ジ
ャスミンのことをバリではこう呼ぶ。アトピーや乾燥肌の人には向かない。
なぜだかわからないが精油などの本には書いてある。
◆中華料理を食べる。油を使うものが多いから口の中、お腹がもったりする。
最後にプアール茶、ウーロン茶、ジャスミン茶、どれにしますか、といわれ
たら、どれを選ぶだろう。おそらく、3種とも脂肪分を溶かすのだと思う。
日本料理のあとジャスミン茶は合わない。他の2種と比べたら、全く合わな
い。中華料理とぴったり合うのはジャスミン茶である。ぴったりするほどに
脂肪分をとるのだと思う。
そうでないと、乾燥肌にむかない、とならないだろう。少しでも油がほし
い肌の油をとってしまうわけだから。
◆よい香りがするからお茶に入れた、ではなく、よい効用があるから、お茶
に入れたら、その香りがまた格別であった、と考えた方が、人間の知恵につ
いて考えるには適当である。人間の昔からの知恵というのは驚くべき科学的
で、今の人間は昔から知っていたことを実証しているだけだ、ということも
できる。


▼ゴールデンキャンドル

◆「こころ」はどこにあるか。細胞の全体を「こころ」と呼べば納得できる
ことが多い。皮膚が痒い。こころが落着かない。イライラする。胃がしくし
くする。気分が重たい。ちょっとした疵が不快であることもある。
 もちろん細胞は脳とも連結しているだろうから、脳は第二の「こころ」と
呼んいいのかもしれないがやっぱり第一は細胞の全体ではないか。
 互いのこころには相性というものがあり、臓器の移植はこころの一部分を
他人に移植するわけだから、「こころの相性」があわないと難しいのではな
いかと思ったりする。
◆「こころ」に関連した花がある。
8月のバリ島を車で走ると、道路脇の湿地帯に自生している。黄色く、内
に丸まった花びらがちょうど蝋燭の蝋の模様のように重なりあっている。日
本語では「対葉豆」「ハネセンナ」とも呼ばれる。センナとう名前がつくか
らには薬草なのだろう。
◆なぜかこの植物の下でバリの若い人たちは愛を語る、という。ある人は霊
力の強い植物だという。見たことはないが、ランダが手にしている葉だとも
いう。葉には解毒作用、活性化酸素除去作用、抗ヒスタミン作用があり、ア
トピーによいと言われ、実際改善している人が多い。バリアンはよくこの葉
のことを知っている。日々どこか不調な身体はこころを曇らせる。
◆とっておきの話しがある。この葉を乾かして煎じる。それを肌に塗る。あ
るいはルルールという米、ウコンクローブなどで作ったボディーマスク用の
粉をその煎じ液で混ぜて泥状にする。それを身体に塗り、しばらくして、乾
ききらないうちに、擦り落とす。
 肌が白くなる、と言って驚く人が多い。つまり「こころ」がうきうきする。
熱帯のバリ島にはまだまだ知られていない貴重な植物があるのかもしれない。

▼コーヒー

◆梅や桜、桃や梨、なりものの花は可憐であり、うっすら実の匂いもする。
それに歌もたくさん詠まれているので雰囲気、物語の背景としても、イメ
ージが湧きやすい。コーヒー農園となると、体験がないから、コーヒーの
花が咲く頃、人々は何をしているのか昔、農園に従事する人々はコーヒー
の花を見て、何を思っていたのか、想像がつきにくい。歌はないのだろう
か。
◆コーヒー。バリ島で味わえるコーヒーはコロンビアやブルーマウンテン
もあるが、やはりトラジャコーヒー、バリアラビカ、バリエメラルド、バ
リキンタマーニなどがある。バリゴールドはイタリアンコーヒーのエスプ
レッソやカプチーノ用である。
◆イタリア人がコーヒー産地に入り込み、栽培から、焙煎までを指導し、
バリのホテルに卸しているから、コーヒーの主流は深焙りである。
◆因みに「バリコーヒー」というのは誰がその名をつけたか知らないけれ
ど、コーヒーを美味しく飲む以前の、つまりろ過紙や、コーヒーメーカー
やサイフォンを買う余裕がないから、コーヒーの粉をそのままインスタン
トコーヒーのように湯で混ぜて、上澄みを飲むスタイルのことを言うのだ
と思う。それに米の粉を混ぜているのもある。美味しいものではない。
 コーヒーはバリでは「コピ」という。コピの花は白く、香りが高く8月上旬が
見頃であるがコーヒー農園でしか見ることはできない。


▼ツンベルギア (Thunbergia)

◆サヌールのバリハイアットでは昔ホテルの庭園内のツアーがあった。こ
のホテルの庭は一冊の厚い写真集になるほど、植物が豊富である。
◆ツンベルギアは目立たないように、朝顔をふたまわりほど小さくしたよ
うな薄紫 色の花で、縦に蔓がおりて、花は縦に点々と咲いている。葛草
(かずら)の種類だろう。熱帯の庭園はうっそうとしているが、光と陰が
植物の呼吸とともに冷気を醸し出す。何気なく目をやると、ツンベルギア
がいる。人がここにツンベルギアを置いた。ツンベルギアがここを選んだ。
どちらにしろ、いわゆる「心にくい」演出である。
◆この花の雰囲気はなぜか万葉集にでてきそうな風情がある。大柄であで
やかな熱帯に咲く花と趣がちがう。
◆桜のような群になった圧倒感はないのだが、目に時空を越えたイメージ
を喚起する。そのイメージは女性がひそかに好きな人を想う心の色合いと、
不安感のようなものだ。きっと日本語でも素敵な名があるのかもしれない。


▼クリナン バクン (Krinum bakung, Spider lily)

◆この百合をスパイダーリリーと名付ける英語人の神経がわからない。
「おっ、珍しい花だ、花びらがクモの足に似ているぞ」などと思ったのだ
ろうか。安易で、単純で、無神経だ。そういえば、英語圏人の料理に関す
る舌も安易で無神経だといつも思うが、こういう分野までもそうなのか、
と感嘆せざるを得ない。
◆日本でみる百合よりも繊細で、茎を細く、弱弱しげだが、クモのイメー
ジとかけ離れている。水分を溜めないのか、ちょっと雨が降らないと萎む
ようになる。生きていけないようになる。姿形を干からびさせるのだ。
◆美人で体力のない女性。繊細な神経の持ち主で、傷つきやすくとも、一
途に生きる女性。そんな女性像を昭和の初期頃を舞台にした映画やテレビ
でみることがある。百合である証の花粉が7、8本長く細い線上にある。
この花の全体を引き締めている。


▼ダダップ (Dadap , Coral Tree)

◆血の色をした舌。深紅のビロード。花びらを採り、それを風呂に浮かべて入
ったとしたら、身体は血に染まったようになり、やがて心も血に染まったよう
になるのか。それはどんな気持ちなのだろうか。未知の体験である。
◆高い木の梢に点々と咲くダダップの花は仰ぎ見る花である。桜の高さに似て
いる。すると当然向こうに青い空がある。青に深紅の花が点在している。
◆飾り、神へのお供え、癒し、どれも合わない。遠くで美しく、近くでは重厚
な存在感で圧倒する。すべてを拒否するほどに主張が強い。本当は真っ赤な熱
すぎるほどの感情を持っているのに静かな女性がいるものだが、そう思い、手
の平にのせると、姿態がエロティックである。


▼ソカ (Soka, Javanese Ixora)

◆あじさいのようであじさいでない。約60ものしかも十文字の花びらがま
とまりひとつの花になっている。色は橙色である。あじさいと同様、色が橙
にもかかわらず、雨に濡れると特殊な情緒が醸しだされる。なぜなのだろう。
◆バリ島であるのに陽に似合わない。茂みの中で夜露に濡れている風情なの
だ。
◆水があると安心できるという人がいる。池の水、湖の水、川の水、海の水、
雨の水、露の水。水という共通項があればよい。それだけで安心できる。
◆花と水の相性は相当なものだが、ソカは水なしでは存在の意味がないので
はないかというほどに、水が必要である。乾いたソカなど、ソカではない、
と言える。
◆花びらで水をもて遊ぶ。陽を避ける。陰にこもって遊ぶ。手をとって外に
引き出したくなるような、水だけが頼りの花である。実は陰にこもることの
ほうが人間らしい、いや花らしいといってもよさそうな。


▼サビタ クプクプ (Sabita,Kupu-kupu, Orchid Tree)

◆蘭はどれも蝶のようだ。花びらに水分を溜めていないので、ちょうど蝶の
羽のように薄い。木の幹からまるで、その幹に植えられたかのように生えて
いる。
◆バリ島で見る花で一番美しいと思う。が、フランジパニのようにいつも見
るわけではない。
◆シェラトンヌサインダーにはこの花が多い。しかし、この花を駆使してい
るところがみえみえで、植え方、寄生のさせかたに違和感がある。
◆何気なく、ふと美しいものに気づく、それがサビタだった、というのがよ
い。つまり、この花は群れにならず、目の高さの木の幹に2つペアになって
咲いている。ふと目の高さで出会う花なのだ。じっと見る、見るだけである。
不思議なものだ、触れないのだ。フランジパニだったらきっと触ると思う。
色が紫系で高貴すぎるからだろうか。絶妙なバランスで成り立っているその
姿形ゆえだろうか。触れば壊れると思うからか。とにかく触れない。一度試
してみるとよい。


◆ヌサ インダー (Nusa Indah, Virgin Tree)

◆英語圏人がつけると Virgin Tree. バリ人がつけると Nusa Indah. これ
で、センスがわかるというものだ。以前にもこのことは書いた。 Datura を
Trumpet flowerと呼び、kurinum bakungをSpider lily と呼ぶ無神経さは、
これらの国の食がまずいのと似ている。細やかな神経というものが感じられ
ないのだ。
◆妄想のような花。マジックのような花。肉のような色とピンク色のあいだ
のような色をしたの花の中からまた小さな黄色い花がでている。手品師が手
の中から何かをだしてくるように、英語圏の言葉をさらに妄想すれば、女陰
のなかから清楚な花が咲いたかのように。この場合、女陰とは肉づきのよい
葉が上部のほうでピンク系に変化した部分である。
◆麗しの島、美しい島とインドネシアの人々は呼んでいる。ヌサインダーは
よく耳にする言葉である。シェラトンヌサインダー、ヌサインダーリゾート
etc.
◆ヌサインダーが一面に咲く島。もし、そういう庭園があれば、遊園地より
楽しいにちがいない。
◆この花は神への供花としても当然使われる。


▼ジェンピリン (jempiring, Gardenia)

◆ガーデニアという有名な花である。その命は短い。だからホテルやレストラン
などお客を相手とするところでは見かけない。お供えには使われる。やはり神は
お好みあそばれるのだ。花びらは精巧な質の高い陶器のような感じがする。それ
ほど花の完成度が高い。触ればぽろりと落ちてしまいそうなというか、熱帯の奔
放さ、強靭さがなさそうだ。
◆バラにも似ている。こういう花を一輪でも毎日取り替えてくれるホテルがあれ
ば、気分はいいだろう。
◆デンパサールに花屋さんが並ぶ通りがある。デンパサールを通るとき、タクシ
ーの運転手にお願いすれば、連れていってくれる。
◆この花を花屋で買うとしよう。それをどんな花瓶にいれるのか、が問題だ。
そのセンスが問われる美しく、しめやかで、あやうい花だ。


▼プチュック グリンシン (Pucuk Geringsing, Coral Hibiscus)

◆心の中にくぐもる邪悪。あるいは性格から導きだされた善なる悪。悪なる善。
インドネシアには邪悪な思いも成し遂げようとブラックマジックにひそかにに
でかけ、マジックをかけられたと思えば、その呪いを解きににホワイトマジッ
クにでかける。バリアンと呼ばれる呪師である。
◆バリ人がこの花をみるとブラックマジックを連想するという。これは悪いこ
とを意味するのか。
◆心の中をよくのぞいてみる。赤い炎がチロチロと燃えている。どうしようも
なく燃えている。燃えている限り我々は生きる。その炎とプチュック グリンシ
ンの花をダブらせてみる。
◆プチュックの色と形状はぴったりではないか。
プチュックの赤はグリンシン(テガナン村のダブルイカット)の染色にも使
われる。 なぜ、ブラックマジックを連想させる花を使うのか。縦糸と横糸を織
り込めていくとき、人の赤い炎も閉じ込める。この炎がある限り、それがたとえ
小さな炎で、やがて人を厄災に導こうとも、人間の業であるぞ、とプチュック
グリンシンは闇の中の宙にぶら下がってチロチロと我々に言うのである。
◆織りあげたと同時に転化が起こり、グリンシンは霊力をはねのけるエネルギー
となるのである。


▼トゥンバック ラジャ (Tumbak raja, Pagota flower)

◆庭はしめやかな緑の葉で覆われ、そこからパゴダが意味のごとく仏塔のよ
うにたっている。小さな花が幾つも集まって、どこか空虚な塔を形成してい
る。花は女だと感じていたが、だから濃密に着飾り、匂いを出し、あるいは
楚々とし、可憐で、という女性を表すような形容詞や副詞が使われるのだが、
どこか空虚な花というのは、花として不思議な気がする。
◆空間を感じるから空虚に思えるのだ。赤は赤でも妖艶さもあでやかさもな
い赤だから、地味なのだ。
◆空虚の中に手を入れてみると罰があたったような気になるのではないか。
この花と花の間、内側にはなにか大切なものを据えおかれているのではない
か。この目の向こうに見えるものではなく目ではとらえられないもの。たと
えば、想い。
◆想いがパゴダに閉じ込められて、そこに滞留する。滞留する期間だけパゴ
ダは咲いては三角形の形を作る。
◆昔、「砂の器」という映画をみた。波が寄せる砂の上に少年は砂を盛って
塔のようなものを作っていた。そのシーンが思いだされた。
◆パゴダのある庭は映画によく似合うとも思った。

   

※このページは (株)バリブックツリー 様のページより転載、加工の許可を得て掲示しています。